やっぱりクラシックなあいつに想いを馳せる今日この頃

自分、初手自分語りいいっすか?
初恋は石川五エ門でした。その次がキャプテン・ハーロックで、その次にアルベルト・ハインリヒです。これは同郷やし井上真樹夫さんボイスに弱かった疑惑がありますね……ちなみに女の子の初恋は火野レイちゃんです。それはさておき。
とはいえ初めて五エ門と出会ったのがアニメだったかといわれると、実は定かではない。というのも昔から斜に構えたクソガキオタクだったので、父親の本棚にあったルパンの漫画を読んでいたのだ。なのでルパンファミリーとの出会いがアニメが先か漫画が先か、どっちだったのかちょっと覚えていない。
初めこそ惚れたのは五エ門ではあるが、そもそも成長するにつれて他のキャラの渋みというのもわかってくるのだ。だってルパンファミリー(銭形も含めて)、みんなかっこいい。別方面にみんなかっこいい。峰不二子もあんなん憧れん女おらへんやろと言わんばかりのレベルでかっこいい。

枕は五エ門のことであったが、今回語りたいのは五エ門ではなく次元のことである。
言わずもがな次元大介の声優さんと言えば、パイロット版から演じ続けている唯一のキャスト(いろんな意味で特例といっていい風魔一族などは除く)である小林清志さんだ、小林清志さんだった。
そもそもルパンの中で一番声優さんが変わったのは不二子ちゃんですが、でもどの不二子ちゃんも色気にあふれている。変わることによる新鮮な色気というか、女が魅せる多面性というか。『声優さんが変わる』ということ自体が、また『峰不二子』という女のキャラクター像としてすごいマッチしているなと思っていて。
対してクラシックで一本気な次元大介という男は、ずっと同じ声優さんで。変わらないってわけじゃない、声優とキャラクターが二人三脚で一緒に歩み進めていく感じ。渋みも凄みも色気も、だからこそ増していく。
世代交代に異論はないです。でもやっぱり生涯いけたんじゃないかって気持ちはどこかあって。認めたくないけれど本人もおっしゃるようにあと数年だったろうから。90までのあと2年弱くらい……って気持ちは多分一生あって。でもな、間違いないキャスティングだってのは、こんな風にグダグダ言っているわたくしでさえも思いますので……。

原作のルパン三世は『純粋なもの』を何より尊むんですよ。それこそ自分より若くて剣の道に生きる五エ門とか。子ども相手に「えらいぞ坊や」ってあやすコマなんか象徴的ではないかと思います。ルパンがそういうことをするコマってのは結構多くて。次元なんかは邪険にはしないもののそういう言葉は口にしないんですよね。モンキーパンチ先生が子供に優しくて、それを本人が特別だと思っていない、ってのが念頭にはあると思うのですが。あと原作ルパンはそれ故か、割と不二子冷遇してたり。
そんなルパンが次元の生き方をクラシックだよっていうのが本当良かった。結局のところ、浪漫に生きていてクラシック気質で、それが何より眩しい。そんな男なんだなぁ。
あとは『ルパン三世 ルパンVS複製人間』のリスペクトもあるよね!? って興奮しちゃってた。
原作気質な渋い次元が見たいのう。実は墓標の時はまだ学生で地元にいたのでまだ見れていないんですけれど、円盤もう買っちゃって見ちゃおうかな。Part2-3でいくつか見れていない回があるので、それを先に見ないと~って思ってまだ見れていないんですよね。血煙は見ています最高だった。いろいろ物販も買っちゃった。

本当に変わるんだなあ。

『楽園追放 -Expelled from Paradise-』の爽やかさが良かったお話

『楽園追放 -Expelled from Paradise-』というアニメが、Youtubeの東映アニメーションミュージアムチャンネル(公式です)でパチスロ化記念に限定配信されているのをたまたま見ました。良かった。
今週の金曜日(2021年9月10日)までの公開なので、こんなブログ読んでいないで今すぐ見てきてください。見てきてから戻ってきてください。戻っては来てほしい。

Youtubeのおすすめ欄に出てきたから見たのですが、決め手は「脚本:虚淵玄」という文字。この文字を見た時点でもう怖さにだけ包まれてるんよ! ワルプルギスの廻天、いつまでも待っています。
そんなに風に怖いもの見たさや期間限定だからどうせだし、といった感じで見ましたが、良い意味で裏切られました。あんなレモンゼリーのように爽やかな虚淵玄が存在するとは思わなかった……。

SF男女バディもので、主人公のアンジェラは仮想空間「デーヴァ」(「ディーヴァ」かもしれないけれど、意味を考えると多分「デーヴァ」なので以降は「デーヴァ」で表記します)で生きる保安官です。彼女は受精してから1300時間は肉体がある旧人類として存在していましたが、それ以降はずっとデーヴァの中で生活しています。
向上心の高いエリートで、今回の任務でも他のエージェント(保安官)たちを出し抜こうとマテリアルボディ(任務中に赴く肉体が必要になる地上=リアルワールドで活動するための生身の器)の培養時間をはやめ、実年齢は20代半ばですが16歳相当の肉体で任務開始します。ちなみにこれ以降仮想空間デーヴァに戻っても16歳の姿のままです。”癖(へき)”を感じた。
肝心のアンジェラの今回の任務は何かというと、近頃デーヴァの治安を荒らしている「フロンティアセッター」という存在をどうにかすること。デーヴァは宇宙ステーションのようなところに存在し、フロンティアセッターはそのデーヴァ内ではなく、かつてナノマシン技術暴走「ナノハザード」によって文明が崩壊した地上世界からハッキングしていること”だけ”がわかっています。
そのためアンジェラはわざわざリアルワールドに赴き、現地調査員エージェントであるディンゴ(本名:ザリク・カジワラ)をバディとして任務を遂行していきます。というお話。

言ってしまえば物語自体は割と王道というか、一昔前のSFバディものそのもの。本当にこってこてな記号論から外れていない作品なのですが、最初にも言った通り非常に後味が良い。
冒頭数分でわかる世界観・最低限のメインキャラクターたち・互いの存在で成長するキャラクターたち・最後の大盛り上がり・主題歌。このあたりがそう感じる理由ではないかと思います。104分という少し短めの尺ということもあり少々駆け足気味なところは感じますが(主に後半のアンジェラ)、見る価値は間違いなくある。そんな作品です。
もう一度言いますが、少しでも気になる方は是非見てきてください。検索したところAbemaとアマプラで配信していた過去はありつつもどちらも終了しているようなので、気になっていた方には丁度いい機会なのじゃよ。

以下ネタバレあり感想

いや本当王道SFバディものだし、キャラクターもこってこてなんですよ。
優秀で管理社会で生きてきた(勝ち抜いてきた)からこそ、肉体的生活娯楽等の意味が分からない、素直になれないアンジェラ(cv.くぎゅ)。奴隷化を嫌い地上にとどまり続ける、有能だけど素行不良なディンゴ(cv.みきしん)。進化で生まれた人工知能で、だけれども、だからこそ自分自身のことを把握しきれていないフロンティアセッター(cv.神谷浩史)
だからこそいいというか。SFものだけどわかりやすいんですよね。そのことも相まって104分という時間で理解できる。綺麗にまとまっている。
ストーリーも、本当にここで云々語る必要がないほどに映画内で見事に説明される。別にお話が簡単とかではなくて、説明が理解しやすい、といった感じ。

管理社会で生きていた機械的な人間と、独自進化を遂げてきた人間的な機械(人工頭脳)。
フロンティアセッターが非常に人間的で、言動の節々に機械らしさと人間らしさが良い塩梅に共存している(アンジェラもなのだけれども)。フロンティアセッターがアンジェラとは対照的にロックが好きで、実際に続きを予想して造り出してしまう。ジェネシスアーク号製造はフロンティアセッターの仕事というか存在意義なので、そうではないものを(恐らく趣味や興味に分類できるような感情で)造り出している、これをクリエイティブと言わずとして何と言うのか。クリエイティブという行動は人間の特権のように語られることも多々ありますが、それをアンジェラではなくフロンティアセッターがしているというのが、また、良いよね!
ディンゴにセッションに誘われて実際にセッションしていたり、「寂しい」を理解する前にも後にも一緒に行きませんかっていろんな人を誘っているのが、また良い。結果として一人で行くわけだけれども、エンドロール後の歌も相まって非常に希望溢れる船出です。いつかどこかの星で出会った生命体にも、彼は一緒に行きませんかと手を伸ばし続けることでしょう。歌はつまりは主題歌なのですが、見送る時にディンゴも歌っているし、もしかしたらフロンティアセッターとディンゴのセッション中に生まれた歌だったりして。予想して作っちゃうんだもん、ありえるよね!

アンジェラはディンゴがきっかけで変わるのですが、実際に彼女が殻を破ることが出来たのは、どちらかというとフロンティアセッターの存在が大きいでしょう。そんな守りたいフロンティアセッターに救われて、フロンティアセッターと守り守られる存在になったところで、アンジェラの表情が変わるようになる。本当、フロンティアセッターが救出した後のアンジェラは表情豊かで、20代半ばよりも16歳よりも幼く感じます。
管理社会からの脱却も意味しているのだろうけれど、地上にうまれ”おちた”天使(アンジェラ)って意味もあるんだろうな。いや本当がらりと変わって駆け足気味だと感じるには感じたのですが、それを差し引いてもふっきれて文字通りに生き生きしているアンジェラは良い。
あとどうでもいいけれど、最初のアンジェラが地上におりた時の碧の液体から出てくるシーンは、その、非常にセンシティブ、でしたね! いや癖だけど!

あとは、赤面の意味が前半と後半で変化するのも良いですね。前半の赤面は体調不良による肉体機能による赤面で、後半(終盤)の赤面は照れという感情機能による赤面。デーヴァに存在していたら前者はできず後者はできたはずなのに、そんな感情機能による赤面が成長の証として存在する。地味に好きポイントです。

進化で生まれたフロンティアセッターと、実質生まれたときから仮想空間にいるアンジェラ。どっちも人間で、どっちも機械だったのだろうな。

宇宙(そら)からおちてきた天使(アンジェラ)は、地上で彼女を受け止めたディンゴ(野犬=犬=守るもの)と、これからをどうやって過ごしていくのでしょうか。
アンジェラのマテリアルボディは、成長する気もするししない気もする。細胞ごと再現していたら成長するけれど、背中に精神転移系のパーツがあることを考えると成長しない気もするので……。それでも彼女は地球に地上にうまれおちて、作中でアンジェラの成長を見守ったり暴漢から物理的に守っていたディンゴに引き続き見守られながら、生きていくのでしょう。
アンジェラとディンゴは、恋愛要素のあるバディでも恋愛要素抜きのバディでもいい。どちらにせよ、カルチャーショックにいちいち笑いあいながらも、戦いの最中に見た緑の夢を見続けて、笑いながら生き延びていくのだろうな。
いや本当に後味のいい作品でした。出会えて良かった。
廻天怖いけど早く来てほしい。

追記
改めて振り返って、ディンゴが最後フロンティアセッターを人類だと認めるところも好き! となりました。あのシーンがあったからこそフロンティアセッターが前向きに出発できたからです。
フロンティアセッターが信じてきた自分自身の存在意味の肯定と、旅経った後のフロンティアセッターが何かしらの知的生命体に出会った時に胸を張れるための言葉。良い。あのシーンがないと恐らくフロンティアセッターは、旅の途中で使命感と寂しさで押しつぶされてしまう。大切なシーン。それを伝えられたらと思っていた。

エヴァンゲリオンが終わっちゃった

シンエヴァを見に行って、帰ってきて、「ああよかったなあ」としみじみ思いつつも「本当に終わっちゃうんだなあ」や「というかエヴァンゲリオンって本当に終われるんだなあ」などと思う日々です。

父親もおたくなものなので、エヴァTV版を見ている父親を見たり、つられてなんとなく見ているような子供でした。あとはポップンミュージックで残酷な天使のテーゼをプレイしたり。
劇場版のあたりは離れていたのですが、アマプラに入ったので見たところ見事に再熱。Qを今年の2月か3月あたりに見て「あれ? これ新しい映画も間に合うんじゃね?」と気が付いてしまい、見てきました。
というわけで劇場版は全部、今年に入ってから見ています。それ以前のエヴァの知識は「碇シンジ育成計画(途中まで)」と「新世紀エヴァンゲリオン 学園堕天録(曖昧。多分これであってる)」だけです。なんで????
それにしても、なんでエヴァといいギアスと言いTVシリーズと劇場版シリーズ作って、ファンの間で戦争が起こるようなことをするんですか?

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 』についてのネタバレが含まれます。

兎に角、ゲンドウがちゃんと父親としてシンジのことを愛していたということがわかって嬉しいです。それに尽きます。

●シンジとゲンドウについて
「ユイを亡くしたばかりのゲンドウがシンジと関わらないことを自分の贖罪だと思っている」=「父親としてシンジといることを幸福に感じていた」なので割と純粋に嬉しかったです。シンジもゲンドウも互いから逃げていたんだなって思いました。シンジの性格面があまりにも父親似だったんやなって。
ゲンドウが天才だったせいでユイを失った後、シングルファーザーとしてシンジを育てる以外の選択肢が生まれてしまって、かつ、彼にはそれが割と実現可能だった。天才だったせいで。何か一つでもパーツが欠けていれば彼らは普通に親子をしていたのだろうなって思います。例えばプロトタイプ綾波型や式波型が用意できなかったりだとか、例えば冬月が理解者じゃなかったりだとか、例えばミサト父が例の話を提唱しなかったりだとか。ん? ミサトさんの父親が割と戦犯だな?
ユイが生きていれば割とガチで、愛妻家で恐妻家で天才故に偏りがあるラッキースケベな、碇シンジ育成計画時空になっていたんだなって思いました。途中までしか読んでいないです。

●レイについて
彼女とシンジの関係は多分いとこくらいな感じなんだなって思いました。更に言うのならば互いが初恋のいとこ同士って感じ? 全編を通してシンジが他者に保護者的感情を抱いたのは彼女が初めてだったと思います。
作中の「綾波は綾波」が「”綾波”は自分が命を賭して助けた”綾波レイ”」だったQの時とは違い、「どんな綾波でもシンジにとっては等しく大切な”綾波レイ”」だったのが嬉しいです。目の前でカヲル君に綾波があんなんになって、シンジ君冷静に可哀想が過ぎる。
あと作中でレイに「すき」だと言葉にして伝えられてからシンジが立ち直るのですが、もしかして劇場版全作品通してシンジが他者に好意を言葉で伝えてもらったのって、これが初めて? だったりします? って言おうとしたらちげぇわカヲル君がいたわ。カヲル君が多分Qで伝えていたな。シンジが初めて他者から愛されている自覚が芽生えた故に立ち直ったって書きたかったけどカヲル君が「僕がもう伝えているからそんなことはないよ^^」って今脳内をマッハ5で駆けながら言い残していきやがりました。初めてだった時の場合のその言葉が持つ意味を語りたかったのに、か、かをるくんめ……。

●アスカについて
シンジのことをガキガキ言いますが、彼女もたいがい子供でしたね。シンジに拗ねてるって言っていたけれど彼女も「シンジが自分を助ける / 助けないの選択をしないで、レイに対してはその選択をした」ということに拗ね続けていたし。
それもそうで親の愛に餓えていた。そこをマリが母親役として接し続けて、やっと親の愛(というか他者からの愛と言っても良いかも)を受け止めて、受けられることが出来た。マリがアスカに姫呼びしていたのも、サークルの騎士と姫とかそういうのではなくて、妃と姫だったんだなって。
シンジとアスカは互いに思春期で、シンジはゲンドウに、アスカはマリに、反抗期も邂逅も体験して、そうして大人になれた彼らが向き合うお話。惣流にあって式波にない、加地に対する恋心ってのも多分ここが原因じゃないかな、と思います。加地に対して父性も込みで恋心を抱いていたアスカだったらマリの愛を受け止められなかったでしょう。
アスカとケンスケって割と公式スピンオフとかで絡み合ったしどれか忘れたけどケンスケがアスカに対して割とガチ目の恋心抱いているような感じの描写あるようなないような記憶あるし、まあアスカがシンジ以外とくっつくならここ感はありましたね。
個人的に嬉しかったのは、アスカもシンジも、互いに恋をしていたという事実を捨てないで居てくれたことです。何て言えばいいのかな、NARUTOの時に体験したんですけれど。自分もナルト×ヒナタ派だったのでヒナタとくっつくことが決まった時にはガッツポーズをしたのですが、でもナルトのサクラに対する恋心をサスケへの対抗心故で本当の恋じゃなかった、みたいにする必要あった? ってなったんですよ。ナルトがサクラに恋していた過去があったって良いじゃないですか、そんなこともあったよねってナルトとサクラが笑い合ったって良いじゃないですか。すごいもやもやしたんだよな。だからこそシンジとアスカは互いに捨てないでいてくれて嬉しかったです。

●マリについて
監督、奥さんのこと好きすぎか? ってなりました。いやマリのモデル、奥さんでしょこれ。シュガルンは良いぞ。
正直序破Qまででシンジに対してちゃんと保護者目線していたのがマリだけだなって思っていたんですよ。そしてそれはシンジが正直、序破Qの時に何よりも欲していたものだと思うんですよね。それが得られなかった(ミサトもレイもアスカも、シンジは保護者の愛を求めていたのに恋愛の愛が返ってきたってのはあると思う)こともあってシンジは父親から愛されるを渇望するようになった。父親からの愛が欲しいという自分の気持ちを捨てられなかったのだと思います。
そこに愛した人の息子(って解釈で良いんだよね?)を見守るマリ現れて、愛した人の息子としてではなくシンジ個人としてシンジを見るようになる。シンジが保護者の愛を求めている時は保護者の愛を返して、恋愛の愛を求めている時は恋愛の愛を返してくれる。より言うとシンジがマリに対して保護者の愛を求めなくなったあたりから両親の愛をちゃんと受け取っていたことをシンジが知るので、シンジはマリに対して恋愛感情を抱くようになるんかな、なんて思いました。
「自分をわかって支えてくれる母親的な女性が好き」という時点でゲンドウとシンジの血筋を感じる。

●ミサトについて
破→Qの緩急が酷すぎて最初はこんなのあんまりだようえんえんって思っていたけれど、よく考えたらシンジを引き取った時まだ20代なんですよね。なのにいきなり14の年頃の子供が出来て。そんでもってその子供は永遠に14歳だし、彼がいっぱいいっぱいの時に自分もいっぱいいっぱいで保護者ができなかったし、自分の新しい子供はできるし、一緒に育ててくれるはずだった夫(予定)は死んじゃうし。
序破のあたりは正直ミサトさんはシンジに対して女も入っているなあ(そういや大人のキスの下りってTVシリーズだけ?)って思っていたので、彼女が母親になって母親として成長して、シンジの正しい意味での保護者となる話でもあったんだね。子供二人のツーショット、嬉しかっただろうなあ……。

●カヲルについて
シンジを幸せにしたかった、何故ならそれが自分の幸せだから。シンジを幸せにするのは自分、といったような感じで、割と独りよがりな愛だったんだなって。毒親に近い愛? そこまではわからないけれども。ただ一つ言えるのはカヲルは何があってもシンジの味方で、シンジは何があってもカヲルの味方(ただしこちらは成長しないとだめ)だということです。これが友愛なのか恋愛なのかは人の性癖によって任せます(Q時点でのシンジからカヲルに対する感情は恋愛の方が近いとは思いますが)。けど互いに唯一無二なのは確かです。
シンジが一方的に愛を受けているだけじゃダメなんだよ。シンジもちゃんとカヲルに愛を返せるようになって、そこでやっと彼らは歩き出せるんですよ。
あとEDの生まれ変わったっぽい世界でカヲル×綾波を入れるのならば、ケンスケ×アスカも入れて欲しかったです。俺は此処がどんなカップルになるか知りてえよ。見てえよ。大和ミュージアムとかケンスケ連れていって解説めっちゃしてきてアスカが呆れながらも楽しくしていたらどうしよう。ケンスケはその後ちゃんとスイーツビュッフェ付き合ってくれる男だから安心しろ。あと今気が付いたけど、ゲンドウとユイだからカヲルと綾波なんかな。

●シンジについて
君が「誰かから愛されている」ということをちゃんと受け止めるようになるまでのお話だったんだね。

委員長とトウジについて
ケンケン「意外だったろ?」
俺「碇シンジ育成計画……ウッ! アタマガッ!」
Q.なんで漫画版エヴァンゲリオン持っていないのに、碇シンジ育成計画は持っているんですか?
A.買ったの父親なので父親に聞いてください。

トウジからしてみれば戦闘機に乗らされていた親友があの時から変わらない姿で、でなんかもうズタボロで、今や妹よりも若い姿で、知らされているのかどうかわからないけれど寝ていたから14-15あたりで中身の年齢も止まっていて。そりゃ兄貴肌に拍車かかってここにいろよとも言いたくなる。

●冬月について
お前がわからん。どのエヴァスピンオフ見ればお前が分かる?
ユイに固執していたんか? そういう解釈でええんか?

●サクラについて
いきなりヤンデレヒロインになるな!!!!

●褐色肌黒髪美女について
正直性癖だからお名前知りたい。

●宇多田ヒカルについて
最強にして最高。

TVシリーズも是非ちゃんと見返したいと思います。リアル仔羊の頃だったのでなんも覚えていない。OP曲とED曲くらいしか覚えていない……。

追記(22/03/13)

最近になって、やっぱり最終的にシンジ君がくっつくヒロインはアスカ(式波)なんじゃないかって思い始めました。
というのもシンエヴァ見返していたら、最後の部分でカヲルとレイの横で一人でいるアスカを見つけまして。おったんかい、ならなんでケンスケとおらんのかい、とまで思ったところで、
レイ(シンジ母代理)- カヲル(シンジ父代理)
という構図ならば
マリ(アスカ母代理)- 加持→ケンスケ(アスカ父代理)
という構図も成立して、で最終的にその子どもたちであるシンジとアスカが結ばれる、という構図があるのではないかと思いました。(別に親代理同士でくっつかなくていいわけだし)

なら何故アスカ母代理であるマリが、シンジを助けに来るのか。
それはやはり、惚れた人との約束だと思います。アスカ代理母としてではなく、ユイに恋する一人の女として助けに来たのだと思います。
マリにとってやはりユイが唯一無二で、他の人に恋愛感情を抱こうという気持ちにはならなかったのではないか。代わりにと言っては何ですが、手の中に納まるもの全てに対して愛を注ぐ存在になったんじゃないかな。手に納まる範囲なのでアガペーとはまた違うんですけれど。
シンジに対しても、好きな人の子供だからってれない感情抱くか? といわれたら、そういうこともそりゃああるだろうけれども必ずしもそうではない。少なくとも、私は好きになった同性の子の兄弟とかに対して恋愛感情を抱いたことはないです。

で、この説においてアスカ父代理が加地さんからケンスケになった理由ですが、加持が他のキャラクターの実父になり、しかもその実母とは恋愛感情を抱く関係である、というのがあると思います。つまり加持自体がアスカ父代理を務められない存在になるわけです(元々務められていた感じもしませんが……)。

新劇の中で、ケンスケとトウジは、加持から赤くない海を見せられています。あそこで物語的ないろいろを託されたのかなあ。未来への希望、アスカやシンジを見守る役目。そういったものを。

とはいえケンスケとくっつくアスカも好きだし、惣流だとシンジ君とくっつくのかちょっと自信が持てないし、シンジ君とカヲル君が恋愛感情という考察も好きだしで、なんというかな、結局エヴァンゲリオンに俺はさようならできてねえんだな、と思います…………Beautiful Worldの「最近調子どうだい 元気にしているなら別に良いけど」が聞けば聞くほど、思春期の息子に対して距離を計りかねている、本当は息子のことを誰よりも大切に思っている不器用な父親に聴こえて……俺は……仕方ねえよ…………
エヴァ関連のゲームを増やしたのでまたやります……旧劇も見ます……どこで見れますか…………

追々記(24/05/10)

●ケンスケとシンジの釣りについて

作中でケンスケとシンジが釣りに行くシーンがあります。何気なく見ていたシーンですが、ふと、『新世紀エヴァンゲリオン2』の存在を思い出しました。エヴァのゲームの中ではましな方であるとされている作品で、庵野秀明監督が監修に携わっている事もあり、エヴァンゲリオンにさよならできていない私も積みゲーの中にこのゲームがあります。

で、このゲーム。ネタバレにはなってしまうのですが、たくさんあるEDの中の一つにシンジとゲンドウの和解EDがあるらしく(積んでいるので曖昧表現許して……)、そのEDの中で二人は釣りに出かけるようです。

つまりエヴァンゲリオンにおいては釣り=父的存在の象徴(付け加えて言うのであれば和解した父的象徴)ではないかと。一種のファンサービス的な要素であったのではないかと思いました。

シンジがやっと自発的に動けるように、前を向けるようになったシーンのように見えて、本質は、シンジが父親と向き合えるようになったことを示すシーンなのではないかと思いました。結果としてはあまり変わらないけれどもね。

●ケンスケとトウジの違いについて(父親/息子の二面性について)

トウジには妹と一人娘がいます。そして父親はニアサードインパクトで故人になっています。
ケンスケには妹も娘もいません。そして父親はトウジ同様作中で故人になっていますが、ニアサードインパクト自体は父親も生き延びています。

第三村で、トウジはそっくりさん(=黒波)を、ケンスケはシンジ(とアスカ)の面倒を見ます。最初はトウジが二人とも面倒を見ようとしますが、「今のシンジに必要なのは,トウジの保護的行動ではない」と判断したケンスケにより、村の外れに住んでいるケンスケの家に連れていかれました。ケンスケの過干渉ではない、かと言って放置するというわけでもない距離感で見守られたことにより、家出や黒波との交流という過程も経て、シンジは前を向き始めます。
同じくケンスケ宅で寝泊まりしていたアスカとは違い、シンジは自発的に動けるようになった段階で、第三村の手伝いもしています。

そして自発的に動けるようになったシンジに対して、トウジは14歳から時が止まったままであるシンジに、「もう十分頑張った」とエヴァに乗らないこと/WILLEに戻らないでこのまま第三村にいることを、暗に勧めます。
対してケンスケは、14歳から前に進もうとしているシンジに「父親と向き合うべきだ」と、エヴァに乗らなければできないことを勧めます。

トウジは保護的父的象徴であり、ケンスケは行動的父的象徴なのではないかと思いました。(あくまでシンジにとってですが)

「碇シンジくん、父親に息子が出来ることは肩を叩くか殺してあげることだけよ。加持の受け売りだけど」
この引用は作中のミサトさんの受け売りだけど、作中でミサトさんはこう言っています。ミサトさんもシンジと同じく、父親との距離感に悩んでいた人物です。そして、距離感の答えを見つけ出す前に父親は亡くなり、自分の息子の父親になってくれたはずの人も亡くしました。

父親の二面性、息子と父親の関係性の二面性。この場合の「肩を叩く」がトウジの示していたもので、「殺してあげる」がケンスケの示していたものなのかな、と思います。どっちも父親でどっちも息子だよ。

●13号機の中にいたカヲル君について

アスカがプロトタイプアスカ?に取り込まれる時のシーンなのですが、プロタイプアスカの向こう側にカヲル君がいます。

カヲル君がいます。

これ、友人と同時視聴しているときに友人が指摘してくれて、初めて気が付きました。ありがとう……。てっきりプロトタイプアスカ的なやつかと思っていました……。
13号機に入っていたからまあカヲル君なんだろうなあ、とは思うのですが、あのシーンで出てくるとカヲル君はアスカを害することは別にあまりどうこう思っていなかったのかな、なんて邪推します。まあもしそれがシンジくんを守るためのことだったら、アスカを害する(マイルド表現)くらいはしそうだけれども。

Qカヲル君は、アスカを助けられなかったシンジくんが助けようとしていたことによって逆に悲劇が生まれてしまったのですが、平和な世界でそれをカヲル君が知ったら「じゃあ式波・アスカ・ラングレーの一件がなければ、君は僕を助けてくれなかったのかい?」みたいに少し面倒な彼女ムーブしてきそうだな、なんて思います。からかうように。平和な世界でチルドレンたちがばかやって笑い合っているだけのショートムービー、くれ……(遺言)。

●WILLE(ヴィレ)におけるアスカとマリについて

アスカとマリはQと違い、DSSチョーカーをつけられていたり部屋に爆薬を増やされたりしていて、「信用ないのね」とアスカが自虐するシーンもあります。
「エヴァパイロット=碇シンジと同じくした不穏分子である」という艦内の声を、ミサトさんが流石に抑えきれなかったのかな、なんて思います。というかむしろリツコが提案していそうなまであるよね。

逆に言うと、Q時代はミサトさんが頑張って抑えていたのだと思います。艦内の2人に対する不安や不満を。
2人に対しても、主にシンジ同様一緒に暮らした期間のがあるアスカに対しても、ミサトさんは母親であろうとしていたのだと思いました。

そういえばアスカ役の宮本さんは、元はレイのオーディションを受けられたそうで。アスカとレイが逆だったらどんなエヴァになっていたのでしょうね。

●もろびとこぞりてについて

まあ歌詞のまんまなシーンだとは思うのですが、備忘録として。
ミサトさんがシンジ君に対してガイウスの槍を届けるときのBGMが「もろびとこぞりて」でした。シンジくんさんの再誕。産む2人目の母親。

●ゲンドウとシンジを連れ出すマリ

ゲンドウの回想を見る限り、最初にゲンドウとコンタクトを取ったのはマリ(彼女から)のように見えます。ゲンドウの世界を広げたのは結論から言うとユイなのですが、それでもきっかけはマリであったと言えます。
マリは最終的に、シンジを助けに行きます。みんなをエヴァのない世界へ送り出したシンジを、エヴァのない世界へと連れ出すのが新劇で追加されたパイロット・マリの役目でした。
マリは、碇親子(六分儀親子)のマリア(=母)だったのかな、なんて思いました。

マリはユイに紆余曲折ありながらも惚れていたこともあり、最終的にゲンドウに対してどのような想いを抱いていたか。果たして複雑なところであると思います。
けれどもマリの性格から考えて、「面白そう!」とならなければ関わりを持とうとはしないでしょう。願わくば良好な気持ちを最後には抱いていて欲しいと思いました。それこそ、ユイに惚れたときみたいにいろいろ思いながらも。「好きな女と好きな男が結ばれた!!」くらいのテンションでも良い。

それにしてもユイさん、研究室の主要な面子全員から惚れられていたことになりますが、すげえ女やな。

●碇シンジ育成計画の渚カヲルEDを考慮した渚カヲルと碇シンジ

やっぱりこいつらうまぴょいするんだ!!!!(再販希望です)

『落下の王国』が性癖に刺さったというお話

12月8日、地上波で『落下の王国』という作品が流れました。円盤の配給会社が倒産したとかで円盤中古価格がやばいことになっている作品です。
Twitterのダイマ祭りで初めて知ったのですが、いや映像美!(粗品さん風) って感じでしたので、その日ぎりぎり休みだったことと自宅の録画機が死んでいることもあり、リアタイしてきました。んもー、好きになっちゃいましたね……。
同じく今年初めて見て惚れた『AKIRA』のような「キメなくちゃ……!」という感じではないのですが、『落下の王国』は心の柔い部分に深く刺さって抜けなくなる感じ。全体的に「優しいのに残酷」といったお話でした。硝子細工みたいな。

以下『落下の王国』のネタバレあり。

ロイは多分、映画界に戻っていないと思いました。というより自殺を試みることを止めなくて、そのうち成功してしまうんじゃないかな。
映画の上映会シーンでロイが戸惑ったような様子のシーンがあるのですが、そこがロイがいるはずのシーンでいないから戸惑ったのか、ロイがいないはずだったのにいたから戸惑ったのか、それがわかりませんでした。人間を見分けるのが苦手なんじゃ……。
後者なら何も問題はありません、ロイは映画界に戻ります。例え生涯映画作品一作しか出れなくても絶望することなく、アレクサンドリアとの思い出を糧に挑戦し続けると思います。
問題なのは前者。ロイはアレクサンドリアとの思い出を、特に最後に見せた笑顔を、胸に、成功するその日まで自殺を続けていくのだと思います。

でもアレクサンドリアにとってはロイは生き続ける。ここが少女の瞳から見た世界の優しさと残酷さをうまく表しているな、と思いました。
落下=ロイなんですよ。アレクサンドリアにとっては。落下がロイを表す記号なんです、ロイと自分を表す記号なんです。

そもそも二人の出会いからして落下でした。二人して入院理由は落下だし、アレクサンドリアが手紙を落としたから始まった交流だし、アレクサンドリアはロイが巡らせた策に落ちたし。
基本的に作中内でも「落ちる」という記号は比較的マイナスなイメージで使われています。特に終盤、アレクサンドリアがロイのためにモルヒネを取ろうとして落ちた後のシーンなんて言わずもがなですね。
この一件でロイは自分がアレクサンドリアに与えた影響というものを改めて感じて、それを酒で逃げたくなる程度には最初は道具だった筈のアレクサンドリアに情を抱いていて。こんなんオタクが好きなやつやん! ってなりました。オタク特有の主語のでかさを許してください。

ロイが語る物語の登場人物たちもそうです。ダーウィン(+おさるさん)は落とされて死ぬし、ルイジは崩れ落ちて足掻きながら死ぬし、霊者は歯を落として(落とされて)死ぬし、オッタ・ベンガはアレクサンドリアを落とされるものから守って死ぬし、インド人(これが名前なんかいってつっこみました)は綱を切り落として死ぬ。
自暴自棄のように俺の物語だ(=俺はどうせこんな人間なんだ)ってどんどん仲間たちを殺していくロイが、山賊でさえも水に落として殺そうとするのを、アレクサンドリアが泣き叫んで止めます。「二人の物語よ!」と、ロイがアレクサンドリアに影響を与えていたように、ロイもまたアレクサンドリアに影響を与えられていたということに気が付かされるわけです。

ここから作中物語の「落ちる」意味合いが少し変わってきます。山賊がペンダントを自発的に「落とす」のです。惚れた女との決別をもって、娘と歩む未来を選択して。マイナスイメージではなくプラスイメージの記号として使われるわけです。そんなの、好きに決まっているんだよな……。
ところがあくまでそれは作中物語だけのお話です。現実はロイとアレクサンドリアは離れ離れになるし、実際にロイが前を向けた可能性は低いです。それでもアレクサンドリアという少女の中で、ロイ・ウォーカーという臆病な青年は生き続けるんだろうなって。ロイ・ウォーカーは実際に歩き続けたのか、続けられなかったのか(今気が付いたけど皮肉な苗字だな)。本当のところは本人しか知らないし、アレクサンドリアは真実を追求することはなく歩き続けたと思い続けるのでしょう。
やるせないせつなさというか、そんな感じのものが胸の柔い部分に刺さって抜けないお話でした。映像美で見始めたのに普通にお話が好きになっちゃった。

それではこんな好きしか言っていない感想を読んでくださり、「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」

令和にもなって初めて『AKIRA』をみたって話

2022/2/20 「●鉄雄が見ていた幻覚について」の項目を付け足しました。

2020年現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に猛威を振るっています。日本もその例に漏れず、緊急事態宣言や外出自粛といったことが日常になっています。それに伴って様々な業界が、家の中でも楽しめる娯楽の提供や無料体験に力を入れておられます。

まあ真面目な前置きはここら辺にしておいて、そういう状況下で期間限定配信をしていた大友克洋監督の映画『AKIRA』を令和の世にもなって初めてみたところ、見事に虜になってしまったので、今更ながらいろいろ考察とか感想とか書きたいっていうお話です。
有名な作品ですし名作ですし、割といろんなところで言われているかもしれませんが、好きなものは好きなので書きたいと思います。まだ片手で収まるくらいしか見ていないので、改めて見た時に気が付いたことがあったらもしかしたら増えるかもしれません。
原作もいつか揃えたい。電子書籍に抵抗が未だにあるんですよねぇ……。
余談ですが原作のネタバレをできれば踏みたくないという気持ちから、感想・考察サイトめぐりはしていません。登場人物の名前を確かめるためにWikipediaのAKIRAページの映画版の項目だけ参照しました。

因みに事前知識は例のバイクシーンが良く色んなアニメなどでパロディされているなってことしか知りませんでした。「さんをつけろよデコ助野郎」の元ネタだということも知りませんでした。初めて見た時、あ、元ネタこれなんだぁ!? ってなっちゃった。そのレベルです。

以下、映画版『AKIRA』のネタバレをがっつりしています。

●金田と鉄雄の関係性

ホモソーシャルにおける関係性を表すものって、何があるでしょうか。
例えば友人。例えば親子。例えば兄弟。例えば師弟。言い方はいろいろあるけれど、ぱっと思い浮かぶのはこの辺りではないかと思います。
これら全てを、金田と鉄雄は二人で補っていました。

彼らの出会いは養護施設でした。鉄雄がおもちゃをいじめっこに取り上げられて泣いていたところにおもちゃを取り返してきてくれた金田がやってきて、二人の交流が始まります。この際に金田も「自分もあいつらにいじめられたことがある」という旨の発言をしています。

つまり何が言いたいのかと言うと、金田は最初から「自分がいじめられていた時に助けてくれる人はいなかった」→「鉄雄の味方になることができるのは自分しかいない」+「同様に自分の味方になってくれるのは鉄雄しかいない」だし、鉄雄は最初から「自分がいじめられた時に施設の大人は守ってくれなかった」→「自分にとっての味方は金田しかいない」+「同様に自分が味方になれるのは金田しかいない」なわけです。

二人はホモソーシャルにおける全ての関係性を自分たちで補う選択肢しかなかったわけです。ファーストコンタクトのせいで力関係が「金田>鉄雄」気味なのは否めませんが、それでも金田は鉄雄をちゃんと尊重していたことが作中で分かります。(詳しくは別の項目にて)
友と友、父と息子、兄と弟、師匠と弟子、他にもいろいろ。これら全てを、二人は無意識のうちにそれぞれで補いました。
愛憎が入り混じろうとも、他に人がいなかったのです。文字通り互いが唯一の存在でした。

逆に言えば、そんな自分たちにできないヘテロソーシャルの関係性を金田と鉄雄の二人は外部で補っていたと思います。ケイやカオリ、あと作中に出てきた金田のグループの取り巻きみたいな女の子たちがこれにあたります。
念のために断っておきますが、これはヘテロ差別やホモ差別ではなく、彼ら個人の性自認や性的指向の問題です。

ただここで、ケイもカオリも、金田と鉄雄の「唯一」にはなれないということが問題として存在します。
どんなに金田がケイに一目惚れをした事実があっても、どんなに鉄雄がカオリを好きでいても、深層心理のレベルの話で二人は「代わりはいる」と認識してしまいます。
カオリはわかりやすいですね。力が制御できなくなった鉄雄に殺されています。「殺したくない!」と叫んでいますがカオリと同じ状況だった金田との間にラグがあったことを考えると、この時点で無意識のうちに鉄雄は金田>カオリという構図を取っていたと考えられます。
というのも、事前にカオリは鉄雄を自分の知っている鉄雄ではなくなってしまったこともあって拒否してしまっています。無理のないことなんだけど、その後にやってくる金田は鉄雄のことを拒否しないから余計に無意識のうちに二人の違いが鉄雄の中で生まれてしまっている。タイミングが悪かったんだなあ。
ケイはちょっと説明が難しいんですけど、鉄雄が生きている時の金田にとってのケイって、「竜が唯一のケイ」なんですよ。鉄雄が生きていた時は金田も「鉄雄が唯一の金田」なので、逆に互いを唯一にしない前提があるからこそ惹かれていたところはあるのかもしれない。そしてその「唯一」を失ったもの同士で寄り添って生きていくEDに繋がる。

●鉄雄にとっての金田

鉄雄が金田に対して卑屈な思いを抱いていたのは、まあ否定できません。劣等感とかネガティヴ・コンプレックスとか、そこらへんの鬱屈とした負な感情。
でもそれって「社会」ができたから生まれた感情であって、多分養護施設に居たころの二人きりだった時にはなかった感情だと思われます。比べる対象や比べる人がそもそもいなかったんだから。(「社会」については次の項目でも)
養護施設に居たころも多少の見栄はあったと思います。でもそれは、弟が兄に対してかっこいいところを見せたい、みたいな。そんな珍しくはない可愛らしいものであったと思います。そういや金田と鉄雄の年齢どうなってんだ? 同い年かな。同い年だとしたら、それはあまりにも運命的で残酷ですね。

鉄雄はこの負の感情を消化したくて、金田に自分を認める(=頼る)ように作中で迫る。ところが金田はこの負の感情もひっくるめて鉄雄だと思っているし鉄雄のことをとっくに認めているので、鉄雄が自分に何を求めてきているのかがわからない。このね~、このすれ違いがね~、辛い…………。

鉄雄が作中で明確に金田に助けてと求めているシーンって、病室で夢から目覚める際の時と終盤での一連の流れの二つだと思っています。
病院で夢から目覚める時、この時まだ鉄雄はAKIRAの力を制御できていませんでした。夢の中で幼い日の鉄雄と金田が遊んでいて、鉄雄が何かに飲み込まれてしまう夢を見て金田に助けを求めながら目が覚める鉄雄。この夢からわかることって、
①鉄雄の幼少期には基本的に金田がずっと傍にいて、金田以外はそうではない存在であったこと。
②鉄雄にとって金田は常に笑いかけてくれる=慈しみを与えてくれている存在だと(恐らく無意識に)認識しているということ。
③同時に鉄雄にとって金田が「自分が彼に助けを求めれば」答えてくれる存在であったこと。
の三つだと思います。だからこそ力を手に入れた鉄雄が「今度は自分が金田を守ることができる番だ」になるんですけど、その金田が鉄雄に守ってと言わないものだからどうすればいいのかわからなくて、金田のピンチを作り上げる状況へ持って行ってしまって、そして力に飲み込まれてしまう。終盤はもう説明不要ッ! って感じ。見ている俺も飲み込まれてしまうよ……。

●鉄雄を否定しない金田

作中で鉄雄は変化します。変化、進化、変容。まあどんな言葉を使っても大丈夫なのですが、変わる前の鉄雄を知る人たちからは何かしらのリアクションを取られます。

例えば山形。バーで再会した鉄雄にどうしたんだよと詰め寄ります。
例えば甲斐。同じくバーで再会した鉄雄に怯えます。後退ります。
例えばカオリ。オリンピックスタジアムにいる鉄雄の元まで行きますが、変わり果てた右腕や鉄雄自身に恐怖を示します。

ところが金田はリアクションがありません。
鉄雄に怯えを示すことも後退ることもありません。どうしちまったんだよと言うこともありません。
金田にとっては、鉄雄は鉄雄なんです。どんなに変わろうとも進化しようとも、例え肉の塊になろうとも。もはやアガペーに近いよ、アガペーなのかな。

鉄雄が一度施設を抜け出した際に、金田やカオリと再会するシーンがあります。山形・甲斐もいました。
頭痛が酷くなりドクターたちの手によって鉄雄は「回収」されてしまうのですが、その前のやりとりはこんな感じ。

カオリを傷付けたクラウン(敵対不良グループ)を殺すと言って殴り続ける鉄雄、止める金田。それに逆上する鉄雄

鉄雄に頭痛発生。近寄ろうとする金田に「近寄るな」と鉄雄が言ったので、金田は足を止める。

尚も頭痛に苦しむ鉄雄。一定距離を保って見守る金田と、心配して近寄る甲斐とカオリ。

ドクターたちが鉄雄を回収。金田が黒服たちに襲い掛かろうとするが鉄雄はそのまま連れ去られてしまう。

といった感じ。

ここでポイントなのは、金田は鉄雄に拒否をされて足を止めたのではなく、「今は近寄って欲しくない」という鉄雄の意志を尊重して足を止めた、ということです。
対して甲斐とカオリは鉄雄に近寄ります。これは鉄雄を尊重していないとかではなく、鉄雄を心配してのことです。ただ、その時の鉄雄が求めていたのは心配じゃなくて尊重だった。

金田は多分、鉄雄が「今日は俺が”兄”役をやりたい」みたいなことを言えば、それを受け入れることが出来ます。というか養護施設に居たころはやっていたかもしれない。
ところが養護施設時代と違うのは、彼らにグループという「社会」があるということです。
金田が鉄雄を”兄”役と認めても、山形や甲斐を始めとしたグループのメンバーが認めないことでしょう。金田は組織のボスとしてのカリスマ性がありすぎた。
ヤンキー社会での上下関係というのは単純な力のみで構成されるわけではありません。力だけだったら一匹狼やはぐれものも当てはまるしね。
単純に喧嘩が強い・力が強いといったことに加えて、面倒見が良いことやカリスマ性といったものが組織のボスには求められます。そして金田にはそれが備わっていた、備わってしまっていた。

●「感情制御」の象徴としてのバイク

尾崎豊さんの『15の夜』に「盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま」とあるように、バイクというのは思春期のもやもや~ぐるぐる~とした、どうしよもない行き場のない感情を象徴するものという見方ができます。

そんなバイク、しかもとびきりピーキーなものを金田は乗りこなしているんですね。一見お調子者で感情のままに生きているように見える金田は、実際のところ騒動に巻き込まれてもうまいこと自分の感情を制御して生き残ることができています。
逆にバイクを乗りこなせていない(序盤のバイクシーンで一度止まってしまう上に事故に遭う)鉄雄は、一見大人しくて感情制御ができていそうにも見えますが、実際のところは本編を見てわかる通りに自分の感情がうまいこと管理できていません。
そんなバイクに乗っている序盤のバイクシーンで金田と鉄雄は基本的に互いの名前を呼び合っているのだから、二人の無意識のうちの想いとか、この後の展開とか考えて俺は苦しくなるよ……。

バイクと言えばもう一つ。鉄雄は金田のバイクを求めていますが、ある時を境に興味を無くしています。そのある時というのが、バーのマスターと山形を殺した時。
顔の知らない誰かを殺す次の段階、自分の日常に居た人たちを殺した段階に至った時に、鉄雄の感情制御が「できない」方向に振り切ってしまった。振り切ってしまったならもう「感情制御」の象徴は必要ないですよね、制御することを止めたんだから。

●「AKIRA」

「AKIRA」(ここでいう「AKIRA」はアキラくんのことではなく作中で披露されていた超能力的な力のことを指しています)って結局何だったのだろうって考えて、「それぞれの願望や本質を表す力」だったのかな、って考えで落ち着きました。

作中で明確に力を使っているのは、鉄雄とナンバーズの3人。ケイはあくまでナンバーズを手伝っていたとのことなので、作中ではまだ目覚めてはいなかったのかなって思っています。あと一ヶ所だけ、金田の力なのか鉄雄の力なのか判断が付かないシーンがあったのであとで考察します。

鉄雄の力について。
鉄雄は作中でいろんな力に目覚めるのですが、一番使用している力はやはり破壊の力だと思います。他者や物体を破壊する力。人間も物体もぺっちゃんこのぐっちゃぐちゃにできる代物。圧倒的な暴力というものは力の象徴としてわかりやすいかわりに、気が付かないうちに使用者を孤独にします。
ただ、その力を鉄雄は金田”本人”には向けたことがないんですよね。死ね死ね言うくせに。金田の周りを破壊したり金田に向けて何かを落としたりはしますが、本人に力を向けたことはない。この矛盾が鉄雄本人も気が付いていない一番の本音だと感じました。

最後に、一ヶ所、金田の力なのか鉄雄の力なのか判別がつかないシーンが個人的にありました。それがSOL投下時に金田とその周囲を膜みたいな力で守られていたシーン。その後に降り注ぐ鉄筋に当たらない金田のシーンもあるのですが、あれは完璧にナンバーズの方の力ですね。
SOLのあれが金田の力だったら、金田の本質はやはり「守りたい」ことであるということになりますし、鉄雄の力だったら、鉄雄はやっぱり金田を「殺す」ことではなく「認めて欲しい」ことが本心ということになります。おほほすれ違いよるわい、地獄か?

●鉄雄が見ていた幻覚について

鉄雄が見ていた幻覚は、おもちゃです。クマ、ウサギ、車のおもちゃです。これらは固定されており、そして恐らく、ナンバーズたちを表しているのだと思います。

クマ=一見かわいいぬいぐるみに見えるが、最初に会った時に攻撃を喰らったタカシ
ウサギ=唯一の女の子であるキヨコ
車=常に浮遊するカプセルで移動するマサル

です。

で、なぜ彼らが鉄雄の幻覚に登場するときにそう置き換わっているのかといいますと、「鉄雄の精神年齢の幻覚では、ナンバーズの力(AKIRA)がそう見える」からです。
鉄雄にとっての金田との思い出の品の一つに、おもちゃがあります。金田がいじめっ子から取り返してくれたヒーローのおもちゃ。そして、取り返してきてくれた金田はまさしく鉄雄にとってのヒーローでした。

鉄雄にとって世界構築や人間を俯瞰してみる上で、置き換えられる可能範囲がおそらくおもちゃだったのだと思います。おままごとで配役指名するように、人形遊びの役割を割り振るやり方が、鉄雄には一番やりやすかったのです。
幻覚自体は、ナンバーズが鉄雄に見せていたものではなく(ナンバーズの病室登場シーン的にもそう判断できます)、鉄雄が力をうまく使えずにうなされてみていたものです。

恐らく、物語終盤の金田が見ると別のように見えるのだと思います。例えば、珈琲 / 紅茶 / 酒、みたいな。

結局のところ、幻覚が見えた見えない・どんな幻覚であった、にしろ,金田が力に目覚めた場合、なんだかんだで使いこなせます。
で、金田はそれを、鉄雄を守る方面で使います。
鉄雄はそれが嬉しいけれど、同時に悔しくて。能力に目覚めるのが金田であっても、二人には悲劇が待ち受けていそうだなあ、と思いました。互いが互いを想い合って大切にしあっているのに、難しいね。

●生命賛歌・宇宙誕生

作中で炎(爆発)と血の描写が多いなあとは初めて見た時から思ってはいたのですが、見終わってから生命賛歌を表しているのだと思い至りました。

血はもう言わずもがな生と死の象徴であるので今更説明はしません。
炎は、不死鳥が誕生するように、コノハナサクヤ姫の火中出産のように、生と死の両面を併せ持った象徴です。生命の誕生という生命賛歌にはこの上ない存在、扱いを間違えれば死ぬだけというお話。

ただ、炎というものは罪の象徴でもあるんですよね。プロメテウス。罪と成長の証。金田と鉄雄は成長したし、成長してしまったし、罪を受けました。
神話的要素つながりだけど鉄雄の肉塊化にはオイディプスコンプレックスとそれに伴う罰が下されたってのもありそう。

とりあえず思ったことを書き散らしました。深読みしすぎかなという反面、この作品は深読みを許してくれる作品だという気持ち。

また見た時に気が付いたり思いついたことがあったり、原作を読んで理解が深まったらどんどん書いていきます。追記した時はここに書いておきます。

2022/2/20 「●鉄雄が見ていた幻覚について」の項目を付け足しました。

AKIRA 感想