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自覚してはいけない。
主人公の「ピギュラ」は「ミノニヨクシティ」に引っ越してきたばかりの好奇心旺盛な少年(一つ目)。町長代理の「ホポポ」に勧められて、夢である「雑貨屋」さんを開くための準備に奔走します。
住民と交流を深める中で自覚してはいけないピギュラはなぜこのミノニヨクシティに引っ越して来たのか自覚してはいけないこの町の住民たちは自覚してはいけないなにをかかえているのかこの町に自覚してはいけない隠された秘密とは自覚してはいけない自覚してはいけない自覚してはいけない
自覚してはいけない。
以下、ネタバレあり感想。
優しい死を描く作品でした。クリアしたときに切ない気持ちになっちゃうんですけれど、これで良かったんだなって気持ちにもなる。
●戦わない優しさ
ピギュラ(ユウヤ)の死因で思うことはいろいろあると思います。
世論で「教育が行き届いていなかったり、一人で行かせたりすぐに息子に気が付かなかった親のせい」「不注意だった息子自身のせい」「子どもに気が付かなかった運転手のせい」「交通量の多い道の整備を怠った行政のせい」とかとか、いろいろ言われるものと思います。
でも結局、ミノニヨクシティにきたピギュラ(ユウヤ)自身には関係ない。知る由もない。
そして、ピギュラ(ユウヤ)は責められない(=傷つかない=戦わない)。死者が鞭打たれることはない。死者には祈りが捧げられる。
辛い作品ではあるのですが、あたたかい気持ちで溢れているのには、こういう要素もあると思いました。お母さんたちが後悔で押しつぶされていないのも良い。
●「自覚」した人たちは人の形をしている(のかな?)
人間形態をしているキャラクターたちが、ルナ / サナ / ジェミニ(微妙なライン?) / ジーキル / ギルバート
作中で人間形態になるキャラが、カラコロ→ショータ / ピギュラ→ユウヤ
ゲーム内で、この幼い2人について、ご飯を食べながらあれやこれやを知れるのは、よもつへぐいしながらいろいろ自覚しているということなのかもですね。黄泉の国とよもつへぐいは切っても切り離せない関係なので。
センセーとジョシュは、個人的には微妙なライン。2人とも幼子の死に疲れちゃったのかな。自覚しているけれど目を背けているのかもしれない。
センセーがロールシャッハ・テストなのは、「いろんな見方があって、貴方(プレイヤー)次第で善人にも悪人にも見えますよ」ってことなのかな。医者ってそういうところある……ない? インフルエンザの予防接種とか、注射を持つ先生は子どもにとって怖いだろうけれど、子どもがインフルとかにかからないように打つので。視点の問題。
ジェミニも微妙なラインですが、自覚はしている感じはするしなあ。同じく、自覚しているけれど背けているのかも。
自覚したうえで夢に溺れている時と、そんな自分を冷ややかに見ている自分がいるときがある感じがする。そんなところが好き。
因みに、最後ついてきてもらったのはジーキルでした。大人の保護者にさあ……ついてきて欲しいやん……?
ジェミニ、ギルバートと3択で迷いました。ジェミニは上記通り、ただジーキル・ギルバートに比べて若く感じたので真っ先に選択肢からいなくなっちゃった。
ギルバートも好きです。元々の気質もあるのだろうけれど、ずっとベッドの上にいたから、空想が友達。そういうところに共感を覚えました。ギルバートには共感でジーキルには憧れって感じを覚えて、だから最後はジーキル選んだ感じ。
●「ナンジノユ」
キャラごとのパーソナルスペースとしてお部屋、またお風呂(ナンジノユ)があります。
ナンジノユがその本人にしか見れないの、ゲームとしては新鮮ですけれどいいなあって思った。キャラのパーソナルスペースが守られている、作者さんのこだわりを感じる。
■
作者さんによると、一部キャラは、没になった過去作からということでした。
没になった過去作もやってみた~い! 上の方は悪食娘コンチータから着想を得ているのではないかと思うのですが、もう作られないかなあ。新作のSRPGの作成もされているし。SRPGが好きなので凄い楽しみです!
でも順番にやりたいから次は「END ROLL」だ!
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ミノニヨクシティ 感想
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