ミノニヨクシティ 感想

公式サイトはこちら

自覚してはいけない。

主人公の「ピギュラ」は「ミノニヨクシティ」に引っ越してきたばかりの好奇心旺盛な少年(一つ目)。町長代理の「ホポポ」に勧められて、夢である「雑貨屋」さんを開くための準備に奔走します。

住民と交流を深める中で自覚してはいけないピギュラはなぜこのミノニヨクシティに引っ越して来たのか自覚してはいけないこの町の住民たちは自覚してはいけないなにをかかえているのかこの町に自覚してはいけない隠された秘密とは自覚してはいけない自覚してはいけない自覚してはいけない

自覚してはいけない。

以下、ネタバレあり感想。

優しい死を描く作品でした。クリアしたときに切ない気持ちになっちゃうんですけれど、これで良かったんだなって気持ちにもなる。

●戦わない優しさ

ピギュラ(ユウヤ)の死因で思うことはいろいろあると思います。
世論で「教育が行き届いていなかったり、一人で行かせたりすぐに息子に気が付かなかった親のせい」「不注意だった息子自身のせい」「子どもに気が付かなかった運転手のせい」「交通量の多い道の整備を怠った行政のせい」とかとか、いろいろ言われるものと思います。

でも結局、ミノニヨクシティにきたピギュラ(ユウヤ)自身には関係ない。知る由もない。
そして、ピギュラ(ユウヤ)は責められない(=傷つかない=戦わない)。死者が鞭打たれることはない。死者には祈りが捧げられる。

辛い作品ではあるのですが、あたたかい気持ちで溢れているのには、こういう要素もあると思いました。お母さんたちが後悔で押しつぶされていないのも良い。

●「自覚」した人たちは人の形をしている(のかな?)

人間形態をしているキャラクターたちが、ルナ / サナ / ジェミニ(微妙なライン?) / ジーキル / ギルバート
作中で人間形態になるキャラが、カラコロ→ショータ / ピギュラ→ユウヤ
ゲーム内で、この幼い2人について、ご飯を食べながらあれやこれやを知れるのは、よもつへぐいしながらいろいろ自覚しているということなのかもですね。黄泉の国とよもつへぐいは切っても切り離せない関係なので。

センセーとジョシュは、個人的には微妙なライン。2人とも幼子の死に疲れちゃったのかな。自覚しているけれど目を背けているのかもしれない。
センセーがロールシャッハ・テストなのは、「いろんな見方があって、貴方(プレイヤー)次第で善人にも悪人にも見えますよ」ってことなのかな。医者ってそういうところある……ない? インフルエンザの予防接種とか、注射を持つ先生は子どもにとって怖いだろうけれど、子どもがインフルとかにかからないように打つので。視点の問題。

ジェミニも微妙なラインですが、自覚はしている感じはするしなあ。同じく、自覚しているけれど背けているのかも。
自覚したうえで夢に溺れている時と、そんな自分を冷ややかに見ている自分がいるときがある感じがする。そんなところが好き。

因みに、最後ついてきてもらったのはジーキルでした。大人の保護者にさあ……ついてきて欲しいやん……?
ジェミニ、ギルバートと3択で迷いました。ジェミニは上記通り、ただジーキル・ギルバートに比べて若く感じたので真っ先に選択肢からいなくなっちゃった。
ギルバートも好きです。元々の気質もあるのだろうけれど、ずっとベッドの上にいたから、空想が友達。そういうところに共感を覚えました。ギルバートには共感でジーキルには憧れって感じを覚えて、だから最後はジーキル選んだ感じ。

●「ナンジノユ」

キャラごとのパーソナルスペースとしてお部屋、またお風呂(ナンジノユ)があります。
ナンジノユがその本人にしか見れないの、ゲームとしては新鮮ですけれどいいなあって思った。キャラのパーソナルスペースが守られている、作者さんのこだわりを感じる。

作者さんによると、一部キャラは、没になった過去作からということでした。
没になった過去作もやってみた~い! 上の方は悪食娘コンチータから着想を得ているのではないかと思うのですが、もう作られないかなあ。新作のSRPGの作成もされているし。SRPGが好きなので凄い楽しみです!
でも順番にやりたいから次は「END ROLL」だ!

ゲーム感想一覧に戻るにはこちら

ミノニヨクシティ 感想

グノーシア 感想

公式サイトはこちら

PSvitaで出ている時に知ってはいたのですが、買うタイミングを逃していたらSwitch移植されて、Steam移植されて。
vitaに対してクソデカ感情を抱いているので、移植された時はしばらく複雑な思いを抱いていました。グノーシアは悪くない、vitaも悪くない、俺が悪いんだ……。
それはそれとして名作だとは聞いていたので、いい加減面倒くさいオタクくんな自分とも区切りをつけ、プレイするに至った次第であります。

グノーシアは嘘をつく。
人間のふりをして近づき、だまし、人間達を消し去っていく――

一人用の人狼ADVです。チュートリアルが非常に丁寧で、人狼をプレイしたことのない人でも安心。また、特殊役職は少しずつ増えていくことや、複雑すぎる役職は出てこないという点からも、人狼ゲームとして見ると初心者向きでプレイしやすいです。

医療用ポッドから目覚めた主人公は、セツと名乗る軍人さんから、宇宙船にいること、また船に「グノーシア」という、人に擬態して、人をだまして、そして人を「消し去って」しまう存在が、宇宙船の中に紛れ込んでしまっている、という状況であることを説明されます。

だから議論してグノーシアと思わしき人物をコールドスリープ(人狼で言うところの処刑)し、平穏を掴みとる必要があるのですが、物語はそれだけではなく、どうやら主人公とセツの2人は、ループの中にいるとのこと。議論に決着がついても議論開始前に巻き戻り、グノーシア騒動は終わることが終わることがありません。加えて2人は同じループの中にはいないため、時として互いがグノーシアになり、敵対関係になったりします。

どうして2人はループの中にいるのか。グノーシア騒動はなぜ起きたのか、そもそもグノーシアとは一体なんなのか。

主人公はセツと共に、宇宙の孤独な旅路へそれぞれ旅立つのでした。

ところでこのグノーシアにはという、後天的手術で性別を無くした性別が出てきて、このセツさんも性別が汎だったりします。おそらく生まれ的には女性。他の性別:汎である登場キャラクターは、男性でまだ手術はしていないけれど性別:汎、というキャラクターも出てきます。
はパンセクシャル / バイセクシャルではなく、Xジェンダー、あるいはアセクシャルやノンセクシャルあたりで考えるのが良いと思います。開幕思うよりも万能な概念ではありません。
ただ、私はセックスとジェンダーをいっしょくたにされるのがま~~~じで嫌羊なので、そこはちゃんと別ですよ、って言ってもらえて本当良かったです。

以下、ネタバレあり感想や考察。

●グノーシア(グノース)についての考察

「グノース」はまあ、グノーシス主義が元ネタだと思います。マークからしても。グノーシス主義とは、悪しき神がつくりだしたこの世界から逃れるために、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想です。
グノースの本質を「認識」したり、「知識」を得た人が、グノーシアにあたるのではないでしょうか。グノーシアになった人は、抑圧されていた自分を開放したり、動物的本能を満たすことがあると本編でも言われています。

わかりやすい例がレムナンやラキオ、ステラだと思います。
レムナンは、抑圧されていた自己を出せるようになっている。レムナンは本質的には、攻撃的というか、執着的な性格をしています。グノーシアのレムナンは、それがより被害妄想というか、閉じた世界のまま発揮されている。
ラキオは「本当は生まれ故郷から逃げ出したかった」。めちゃくちゃ雑な言い方をすると、本音を言っています。
ステラは、理性で隠していた人間になりたい自分を、人間しか味わえない悦びを求めるという欲求を抑えなくなる。

で、逆にしげみちや沙明や夕里子などは、グノーシア時の変貌があまりないキャラクターです。普段からあまりそういった抑圧はしていないから、解放するも何もないから変わりようがない。グノースの徒になったよ~くらいの変化。

特殊な例としてSQちゃん。ある意味での二重人格をああいう形で再現したのは思わず舌を巻きました。あれは見事。パケ絵に使われているのは、SQとマナンという意味なのでしょうね。物語の元凶。
もしかしたら電脳化技術を確立させたのがマナンなのかもしれないな。SQの言葉チョイスを考えると、マナンは軍事関係者だった過去もありそうだと思うんですよね、軍事研究者あたりの。生まれて間もないSQと、長年生きた(生きている)老獪なマナン。そりゃ、動物的本能(=グノーシア化)で考えたら、マナンになるよなあって。

電脳化された人間がグノースであることは作中で、巫女であった夕里子によって断言されています。
グノース単体では更なる知識が得られないのでグノーシアを生産。電脳化自体は一般的なことであることがわかりますが、その結果がグノーシアになることである、というのは一般的ではなさそう。(あと金額も)
対して、銀の鍵も知識を得たい存在で、かつこちらも単体では知識の習得が無理なので持ち主に寄生する。ニアリーイコール的存在。グノースと銀の鍵が敵対していたら面白いなあと、何か書いていて思いました。

作中で電脳化が判明しているジナ母ですが、ジナの発言や態度を見るに、生前とは多少異なっている……というか、映画上映のように、「電脳化する前の、その人」をトレースし続けることしかできないようです。
電脳化を行うには教会が必要。星の家の人たちは受付で、星船の巫女が実際にグノーシア化させる担当者。ラキオの出身国を考えるとある程度国家(というか宇宙連合)が絡んでいるだろうし、電脳化に伴う金銭的利益が、そういった国や組織の主な収入源になっていると思います。グノーシアになった人間はグノースにはなれないのでは!? 今気がついた。殉教者とは作中でも言われているけれど、グノースから見ても手駒前提なんだな。

国家や連合の大人の事情や金銭的問題に加えて、「それでも生物(人間以外もいるので、あえてこの言い方をします)には、心のよりどころが必要」ということもあると思います。終末思想、終末思想に伴う宗教の繁栄。

●セツ

物語のキャラクター役割としての、俺らのヒロイン。バディともいうべきか。
どんな性別であれどんなプレイスタイルであれ誰が推しキャラであれ、全プレイヤーに、セツと敵対すると「ちょっとこの周、辛いなあ」と思わせるような絶妙なキャラなんですよね。医務室の出現率が高いのは、「俺」がそこにいるからなんだろうな…………最初に出会ったセツが、最後のセツになるって良いよね、イイ……

最近知ったのですが、グノーシス主義にはセツ派というものがあるらしいですね。グノーシス主義の主流の地位を確立した宗派の一つらしいです。名前からして物語の核なんだな……

通常EDを迎えてから真EDまでの「セツに会いたいなあ」と、深夜2時に思わず漏らしてしまうような、そんな過程が見事。愛しいね。一緒の世界線を生きていけはしないかもしれないけれど、文通とかしたい……
「私」の1ループ目の最初の説明、セツはどんな気持ちでしていたのだろう。「私のことを知らない貴方に会う」って、すっごく怖くないですか? あのループは心細かった、私はラキオがいてくれたけど。ラキオがいてくれたから乗り越えられた。そんなループを、お前は1人で乗り切った、あるいは乗り切るつもりでいた……セツ…………好きだ……

ところで、セツが沙明を“やってしまった”周が、特記事項を埋めた周回以外にありませんでした。という話をグノーシアをプレイした友人に話したら驚かれました。珍しかったのかな。
Steam版も買ってやろうかな、と考えているので(実績解禁したいなあ、なんて思いまして)、その時はどうなるかな。

●ジナ

シナリオライターさんのヒロイン。
食いしん坊キャラなのがかわいい。母親のこともあり、どことなく「ここにいない、何処かの誰かを追っている」という、目を離したら消えてしまいそうなジナは、実際に外壁イベントがそんな感じなのですが、食べ物関係の時は「あ、そこにジナいるな」って思えて安心します。いやまじで沢山食べてくれ、食べ放題行こう。〆にラーメン行こう。
ED後でSQと一緒に暮らしているのも安心しました。SQちゃんだったら絶対、ジナをどこかへやったりとかしなさそうじゃん。

太らせるのが好きなのも、食いしん坊な彼女に合っていてかわいい。もしかしたら母親共々よく食べる家系なのかもしれないですね。食が彼女にとって、家族を繋ぐもので、あたたかい想い出に溢れているのかも。

●SQ

少し芝居がかった口調をするのは、マナンの模倣をして、マナンではないSQという、「自分」というのが何者なのかを探しているのでしょうね。探偵になったのも「人間模様が良く知れる職業だから」というのがあるかも。
SQは、眠っている方のククルシカに何となく直観づいて地下に行かないんだろうな。レムナンとはまあ……互いに関わらない方が良い、SQもマナンが怖いので。

作中でのSQにとって、生まれた時に一人ぼっちだったことは、結構大きなトラウマだと思うんですよね。真EDでは少なくともジナ、それからもしかしたらラキオ/ステラに見守られて生まれてきているので、あの世界線のSQは何も憂うことなく生きていけるのではないかな。

●ステラ

好きな色を緑にしていたためでしょうが、めちゃくちゃ協力を持ち掛けて来てくれました。俺のこと好き?
あとチュートリアル後の初敗北グノ顔を見たのがステラでした。ステラのグノ顔は非常にインパクトがあるのですが、それはそれとして、フフ……興奮……しちゃいましてね…………となりました。

人間に、人間がすなる恋というものに、憧れている機械娘。俺、こういう設定に弱いんだ……
グノーシアにならない時のステラが作中通して一番人間みの強いキャラクターまであるのが面白いです。ジョナス凍結イベントを見るに、LeVi本体も人間に憧れているところはあるのかな。お前の王子様になりてえ……

●コメット

コメットは割と、自分を含めて客観的に見ることができるキャラクターという印象を受けました。というか、ED後のシピとの関係や粘菌と共生関係である(あった)ことをみるに、人間の器に重要性が見いだせないんじゃないかな、と感じたり。

あとはやはり、粘菌イベントの印象が強いですね。沙明恋愛イベントとしての印象なのですが。粘菌自体は結構攻撃的な感じなのではないかと思います。
普段はあくまで宿主のコメットの意志を優先していて、グノーシアの時は粘菌としての本能を優先しているのかもしれない。粘菌がヴェールみたいにぶわ~~~ってなっているやつ、好きなんだ。綺麗だ……

粘菌で思い出したのですが、ED後に売っているじゃないですか。個人的にはコメットにとって「初めての友達」くらいに考えていたのですが、もっとドライで、クマノミとイソギンチャクみたいな共生関係くらいの仲なのかも。考えてみればその細菌のせいで実質的に生まれ故郷に閉じ込められているわけだし。
生まれ故郷に閉じ込める粘菌と、密航を手伝ってくれた猫。まあ後者を取るわな。全部売ったのかな

●ククルシカ

真EDを見ると、ククルシカが初対面の時に花冠くれた理由が「再会できたことへの喜び」だということが分かるのが良いよね。ループ構造だからこその演出。アーニャもククルシカだったんだろうな、と最初は思っていたのですが、最近になって銀河鉄道999みたいな感じで、若くして死んだアーニャの遺体をアレコレして、剥製みたいな感じで人形化したものがククルシカだったりしたら、より絶望的だなって思いました。

留守番時にレムナンをアレしてしまったり、銀の鍵のための情報収集のためにどこにでも現れたり、「憐れみ」や「軽蔑」という描写があったりと、「あーやっぱりマナンなんだな」と、道中での何気ない描写が、EDを見れば全部わかるのが、糸がするするする~とほどけていくようで気持ちが良い。

人狼ゲームという議論が必要なゲームが元になっているゲームで、発声できないのに強いキャラクターというのが面白かったです。敵対する時はたまったものではないのですが。
発生できないから鍵の起動はできないけれど、鍵の情報埋めているのを見るあたり、人形ではない永遠の美を諦めていないと思うんですよね。グノーシアの時はそれが強く出ているのかも。グノーシア時(あと特記事項の留守番時)以外は人格がごりごりに削れたり、長旅の中で少し丸くなったり、そんな感じかな。

●オトメ

ステラが人間でないと気が付いていたのとかククルシカと詳細な会話が出来ていたっぽいのは、エコーロケーションですかね。彼女のイベントは音に拘られているのが多くて、人間に憧れてはいるんだけれど、イルカである彼女自身や、人間とイルカを繋ぐ架け橋になるだとか。そういった、今の彼女自身を否定しない憧れの在り方が好きです。
オトメは何歳まで生きられるのだろう……母って言われるくらいだし、長生きできたかな。長生きできているよね!
実は釣りイベントを回収できていないこともあり(映画みた)、比較的印象薄目なキャラクターであったりもします。いややっぱりSteam版も買っちゃおうかなあ。

●夕里子

まじで諸刃の剣の擬人化のようなステをした女で、火力高くてヘイトも集めやすいキャラなので、強いけれど割と生存させるのが難しかったです。夕里子をセツと協力してコールドスリープさせるのは、セツと「頑張ろう」選び続けました、頑張るセツが可愛かったので……クリアしてから「頑張るな」の方が良いっていうやつを見ましたが、案外そこまででもない。頑張ろう連打でもなんとかなります。

グノース教団に対して思うところがありそうだし、彼女がグノーシアの周回は、少し皮肉というか、切ないというか、そんな心境になりました。
星船から逃げ出してきた夕里子はどこにも行けないだろうけれど、それはどこにでも行けることでもあるので、どこかのびのびと生きることが出来る場所を見つけて欲しいなあ、と思います。

でもそんな彼女が、最後「不明」だったの、正直めちゃくちゃ興奮しました。それでこそ夕里子だ……(?)
物語を俯瞰視点から見ていたんだけれど、みんなが好きで、少し頑張って物語の外から手を差し伸べて。そして物語の外へ帰って行った。そんな感じが好きなのかも。あくまでも気まぐれとかではなくて、多少なりともこの余興(物語)を気に入ってくれていたのではないかと思います。

●ラキオ

なんだかんだでわかりやすい。優しい子で、多分グリーゼの教育に疑問を持っていたのだけれども、でも自分自身は中級〜上流階級に所属しているから反乱を起こすのもおかしいし(周りに同志もいないだろうし)、と抑圧されていたのだろうな。グノーシア時にその不満を感じる。
汎なのも、グノースの教育で性別に対する疑問があったのではないかなあ、と。というより性差の方かな。なんとなく、セツは入隊に伴う強制汎化だと思うのですが、ラキオは間違いなく自由意志じゃないですか。私はパンなのですが、「どうしてジェンダーの方の性別に拘って性差を自ら作るんだろう」って思うことがあるんですね。そんな感じ。セックスの方の性差は必然のものだと思います。
ラキオもそんな感じに考えていて、汎で手術を受ける予定でもあるけれど、故郷では勉強でそんな余裕なかったから後回しにしている、みたいな印象。

ちょっとお口が悪かったり、釣られる時にめちゃくちゃ早口になるのは、口頭でのやり取りに慣れていないからでしょうね。レムナンも、もしかしたらマナンが同じパターンの時があって多少慣れていた可能性があるのかも。
ED後ではそういう抑圧部分をうまい具合に互いに補える相棒を見つけられたという印象。いいバディだと思う。ラキオはレムナンの過去を聞いて、鼻で笑いつつも気にかけてくれそうなので、過干渉すぎなくてレムナンにも丁度いいのではないかな。

●ジョナス

恐らく作中で唯一、初対面時からクリアまでに好感度が下がるキャラクターなのでは、と思いました。そこがジョナスの魅力ではあるのですが。なんというかな、嫌いというわけではないですし好きなのですが、こ、こいつぅ……! という感情が常にある。ボブネミミッミ1期10話?

このジョナス」という言い回しをしたり、自分が人間の敵だと(=人類の英雄ではなくなる)自分はなんなのだとなると呆然する描写があるし、自分の過去がないと廃人ではない状態を保てないんだろうな。なんだろう、統合失調症も少しあると思うんだよな。少なくとも半身麻痺しているし……
一緒に旅をしているのが、(非常に人間みが溢れるとはいえ)人形と機械なので、そういった意味でもノスタルジアなキャラですね。まあその機械に殺されることもあるんだが……ジョナス、多分機械音痴ですよね。LABにも現れないし。
ファム・ファタールに狂わされたノスタルジア……もう二度と会えない運命の女……ククルシカの項目で、亡くなったアーニャを使用してのではないかと言ったのもここら辺に理由します。再会した運命の女が中身が全くの別人で、だからこそ身体が本人だとは永遠に気がつけない……みたいなの、人の心がなくない!? ないと思う。ないと思うから、物語的にはありそうな気がする……(?)

あと、俺に比翼連理言ってくるの何???? 比翼連理とか忍たまの鉢屋三郎が不破雷蔵が言っているのくらいしか見たことなかった、公式です。

●しげみち

初手、悩んだらラキオかしげみちだよね。ごめんね……

やっぱり映画館のシーンで好きになりましたね。「2人をコールドスリープさせるのを本人たちに伝える」という辛い役割を引き受けるし(自分から言いだしていそう)、それなのに2人が映画を観終えるまで待ってくれるところが好き。そりゃ真エンドの入りで、主人公もあのエピソード出す。

しげみちは「人間の肉体を失った前向きな人間」なのですが(対抗がマナン)、そういった経緯もあって、正体に気が付いていないとはいえステラに惚れたりしたのかな。コメットと並んで、人間とか猫とかイルカとか機械とか、そういう種族を重要視していないキャラクターなのかもしれない。

●シピ

クロネコヤマトの宅急便やん!(やん!!)

PC/NPC問わず積極的に「協力しよう」を持ちかけていた思い出と、それはそれとして一線を引き、誰も信用していなさそうな印象を受けます。猫に関してどうのこうの言われた過去があるんじゃないかなあ。
そういう意味で、そもそも粘菌と共生関係にある(あった)コメットと旅に出るのは、納得でした。シピグノーシア時の特殊台詞は、一線を主人公が超えてきた、という感じなのかも。自分から一線を越えることはなさそう。

でもその一線も、結構内側ギリギリなのではないかと思います。割と、絆されれば溶けていきそうな一線のような気もする。AC主義者のチュートリアルで「グノーシアと話し合おう」と提案する彼ですが、コメットの密航を手伝ったりと、事なかれ主義ではありません。ただ優しいんだよな。D.Q.O.で沢山絆されてくれねえかなあ!?(!?)
寒いところに出没しなかったり、睡眠に関する台詞が多いのは猫だな~って思いました。

●レムナン

他人の加虐的嗜好を引き出す才能がある、かわいそう。なんたって、コメットの特記事項かつ沙明の恋愛イベントである粘菌イベントで、下半身が溶けた1枚絵が用意されているという徹底ぶりです。いやまじでかわいそう。

ただ、かわいそうなだけのキャラではなくて、作中の男性陣の中では寧ろトップレベルで攻撃的なキャラクターです。執着的ともいうべきか。彼の根本に根付いているのが怒りの感情で、それをラキオがうまいこと手綱握るから活きる狂犬ですわよ。大暴れしてくれ。
ラキオのやさしさがわかって沙明のやさしさがわからなかったのは、まあレムナンが男だったからというのが大きいと思います。

●沙明

土下座が似合う男に惚れるとは思わんかった。水質管理室に頻繁に脚を運ぶお前がすきだ……いや、生き延びるために土下座をする男が、恋愛イベントでコールドスリープから目覚めないことを選ぶの、ずるくない!? ずるい。

すごい寂しがり屋。でもボノボのこともあって、沙明も最後の一歩を踏み込むということができなさそう。シピと違うのは、シピは最後の一歩を踏み込む(踏み込ませる)気がある意味でなくて、沙明は一応あるということでしょうか。本命童貞感がするのはここらへんが理由だろうな。
セクハラはしますが沙明のそれって(というか作中登場人物全員を通して)、セツがイケるというものを除いて、ルッキズムに基づいたものではないんですよね。かつ、攻撃性がない、うざさはあるのですが。良い塩梅だったなあと。と同時に、特に性的なことが苦手そうなセツが沙明をやっちゃうのも納得。

●主人公

てっきりゲームシステムから排除していたかと思っていた初日犠牲者の概念を、こう持ってくるかー! となりました。やられた(?)

不思議なんですよね。多分卵が先か鶏が先かにはなるのですが、「私」は全員「私」で、「私」はセツを助けたかったからああいう行動を取ったのだし、セツも「私」を助けたかったからああいう行動を取ったんですよ。
でもそれはあのグノーシア騒動のループの中で培われた絆で、そしてそれぞれ別のループ(宇宙)に行ってて、それがたまたま螺旋状に重なる時があるだけだよ、って感じで、もう会えそうにはなくて……でもバディなんですよねえ……

真EDでセツに会うことができたのは、ゲームシステム的な問題省いて物語的な面で考えると、ラキオが手伝ってくれたのかなあ、なんて思っています。
物語を通して、PCとセツが交流しているのに、真EDの一連の流れはなんというか、PCじゃなくてPLがセツと交流している気分。だからノーマルEDも真EDも、それぞれの味がして、それぞれで好きです。
めちゃくちゃ余談ですが、グノーシア(ゲーム全体の方)が好きになった人は「All You Need Is Kill」を呼んで欲しいな……原作の小説と映画版で結構設定が異なるのですが、私はどちらも好きです……漫画もありますので是非……

良い作品だった……この作品全体を通してなのですが、井伏鱒二が訳した勧酒を思い出しました。この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐の例えもあるぞ、「さよなら」だけが人生だ。

それでは皆様、良い旅を!

ゲーム感想一覧に戻るにはこちら

グノーシア 感想

FINAL FANTASY ⅩⅣ 解放戦争戦後編 感想

前回(紅蓮のリベレーター)の感想はこちら

すごい……あの、あの……人の心がない…………

ドマやアラミゴの解放者になったヒカセンが、蒼天と同じく戦後処理に追われている最中に、もっと大きい戦争がやってくるお話です。
この解放戦争戦後編は話の流れが凄い丁寧で、「ああこの話の流れにしたかったから、先ほどあの展開にしたんだな」とわかるようになっています。また、逆もしかりで、「アッアッ、これが話に出てきたってことは、この後、アッアッアッ……」と、展開が読めて逆に辛いということになります。なりました……

漆黒へ向けての激動の章といえる部分でした。
ずっと傍にあった帝国という脅威に対して、きちんと向き合わなければならない時が来た。きっと本当は、戦後のその場所に武力での解放者の居場所なんてない方が良いのに、抑制力とかそういう理由もあってそうはいかない。
守りたい人たちの姿がそこにあるから、主人公は戦場だけではなく政治舞台にも出たりするけれど、さまざまなしがらみや思惑も相まって、全体的にどん詰まりなどうしようもなさが感じられる。全ての歯車が嚙み合わずに、徐々に好転していた事態は一気に坂を転げ落ちていく。
そんな現状を打破する手掛かりは、別世界にあった―――。

そんな物語です。
あと今回考察多めです、よろしくお願いします。過去作要素を用いたメタ読みも微妙にあります。

◆以下、ネタバレあり感想

●ドマの戦後について

ヨツユ関連、人の心がねぇ~~~!!!!

夜から逃げられなかった女を、蛮神化させて(=人の身を捨てさせて)からやっと夜から出られるということを示唆させて、人として死ねた時に黒色をなくして完全に夜から脱却させるの、マジで人の心がねえ〜!!
蛮神名が「アマテラス」か「ツクヨミ」だろうなとは、まあヨツユがそういう流れになった時から思っていたのですが、彼女が人の身を捨てないと夜から出られないことを示すようなヨツユに対して皮肉であるアマテラスの方か、どう足掻いても夜に囚われる運命にあることを示すツクヨミか、どっちが彼女にとってまだ救いがあったのかな……

「引き金を引いた男に優しくされちゃあ、もう生きていられやしない」というのが、切なくて仕方なかったな……
ゴウセツは古いドマの、良い意味でも悪い意味でも、象徴だと思ってます。なんというかな、ゴウセツもヨツユも、古いドマでしか生きられなかったんじゃないかな。引き金を引くほどに憎いドマを表していた男が優しくするのは、ある意味で、「これもまたドマの一面なんだよ」とも言われているようで。心の何処かで理解していたであろうそれを自分が受け取る日はないと思っていただろうに、記憶をなくしたとはいえそれ以外は変わらない自分に、差し出してくれる人がいるということを知ってしまったんだもんな。

刀で生きてきた男が刀を取り上げられて、ある意味での古いドマの被害者であった女と過ごすうちに、例えばヨツユに対して吐き捨てた言葉だとか、例えば亡くなった妻子のことだとか、そういった過去の己やかつてのドマにいろいろ向き合ったのではないでしょうか。
ゴウセツの忠義は揺らがない。ただ、変わりゆく街が眩しくて、変わりゆく主君が眩しくて、それを支えられる同僚が眩しくて。一人ではどうしたらいいかわからなくて、そこにツユになることによって一緒に変わってくれるヨツユがいたから新しいドマでも生きていけると思ったのに、ツユがいなくなっちゃったもんだから。でも死に場所と見て死んだり、ツユの所業の責任を取るべく自決するのは過去のドマの行いで、そんなものはツユは望んでいないだろうから。だから出家して旅に出たのかなあ、なんて思いました。ツユや妻子の形見でも持って、自分たちの世界を広げにいっているかもしれない。いつか旅先で会いたいな。

アサヒに関してですが、前回不安に思っていたようなピンポイント地雷は踏まれました。踏まれましたが人と通話しながらやれたし、そのあと紅蓮祭で花火SS撮っていたので、なんとか致命傷にならずに済みました。マキシマ……マキシマさんはなんで、帝国軍人なのにあんな穏やかで……な、なんで……?

ドマ町人地復興は頑張ってやってます。アラミゴも復興事業した方が良いのでは……と思っていたら、メ・ナーゴのお得意様が解放された。なるほどね、コンテンツ分けね。完全に理解した。

●暁について

泳ぎを頑張ることも帝国に向かうこともそこから更に無茶をすることも、全てのアルフィノの成長が嬉しいのだけれども寂しかった……。シンエヴァのゲンドウもこんな気持ちだったのかなって思いました……立派になったな、アルフィノ……FF14でシンエヴァに対する理解を深めるな
アルフィノが頑張っていることが、暁や盟主たち、果てにはマキシマさんやガイウスにまで伝わって、それが実を結ぶのがとても嬉しかったです。終始後方保護者面しました。マキシマさんはなんであんな性格で、帝国で今まで生き延びてこれたんですか?(2回目)

あとアリゼーが可愛すぎて終始親戚のおばちゃんと化していました。かわいいねえ……飴ちゃんあげようねえ……
そうだよね~~まだ16歳の双子の兄弟だもんね~~ってなりながら見ていました。アリゼーがどんなに勝ち気で気丈でも不安にならないわけが無いし、その不安を吐露して良い対象に俺はなったんだが~~!?!? って全世界に向けてマウントを取りたい。アリゼーを置いていくことが怖かったので、置いて行かれる方は甘んじて受けるとしよう……

ウリエンジェと「アリゼーが1番好きな親戚のお兄ちゃん/お姉ちゃん」ポジションを取り合いたいです。そして一緒にアリゼーの結婚式で号泣したい……うそ、まだ結婚して欲しくない……でもウェディングドレスを着たアリゼーは世界一可愛い…………
これは妄想なのですが、俺とウリエンジェがアリゼーに向かって「どっちの方が好き?」って聞くと、アリゼーはぽこぽこ怒りながら決められないに決まっているでしょ! って言ってきて、俺とウリエンジェは可愛い~~~ってなります。アルフィノに対してはクルルの姐さんと「どっちの方が好きなの」ってにじり寄ってガチの困らせをさせて可愛い~~~ってなりたいです。アルフィノの周りにからかい上手のお姉さんが多すぎるのが悪い。

賢人以外のNPCもフォーカス当たっていてとても良きです。リオルとかフェルミエが優秀なの、まじで好きなんだ……というか地味にリオル好きなんだ……新生から一緒の彼らが、漆黒に入るこのタイミングでも、存在感のあるNPCとして物語に関わってくれていることがとても嬉しいです。キャラとしてそこに生きているんだな、って思う。リオルとサンクレッドのエピソード、もっと聞かせて欲しいが!?
保護者賢人3人組は今から向かうから少し待っててな。

●謎の声の人物について

グ・ラハ・ティアだとほぼ確信しています。

というのも、4.3 – 4.5は何かしらの前振りが必ず行われています。例えば

・アライアンスレイドでドマ以外の東方に触れて東方の現状についての解説
→東方同盟の話(ここ、パッチ次第では本来は反対かも。でも反対でも成り立ちます)

・サドゥ(命を輝かすドタール族)とヒカセンの対決
→魂が呼ばれる、という話

といった感じ。ヨツユ関連で一連の流れが明確に見えていた前半とは違いますが、数珠繋ぎに話がつながっているのが解放戦争戦後編の後半です。

で、なぜ声の主がグ・ラハ・ティアだと確信しているのかというと、複数の要因があり、

・アラグ帝国についての話が凄い出てくる(ソル(アシエン)がアラグ帝国に関わっていたと明かす、魔大陸についての真相考察、アジムステップのアラグの遺物など)
→過去の冒険の中で出てきたアラグに関するキャラクターで再登場しそうなキャラ、で、ドーガやウネといったメタ的に過去要素サービスだと思われるものを除外し、声付きキャラになりそうでまだ声が付いていないキャラを考える
・メ族のところで、オスのミコッテの生態や、ミコッテ族の名前の読み方などについて説明やクエストがある(紅蓮部分ではありますが)
・4.5の最後で「クリスタルタワーに来い」と言われる(ほぼ決め手)

です。
いや、第七星暦編クリア時に「再会できるのかな」とか言っていたけれど、本当に再会できるとは思っていなかった……いやまだ確定はしていないけれど……

●アシエンについての考察(めっちゃ思考中。まとまってないかも)

アシエンについてまず思うのは、天体に関係しているんだろうな、とずっと思っていることと、新生の最後で過去作主人公(7、13、あと1人いた気がする)に姿の似たアシエンがいたな、ということです。

天体に関係しているんだろうなというのは、まず彼らの神がゾディアークということと、エリディブスとウヌクアルハイの名前。ウヌクアルハイはそのまんま(へび座アルファ星)。
で、エリディブスは最初目にした時から「なんかどこかで見たことあるような語感だな~」と思っておりずっと考えていて、竜詩戦争編あたりでわかったのですが、エクリプスでした。エクリプスを元ネタにしたお名前なのかと思います。ちなみに過去に目にしたのは真島先生のフェアリーテイルです、FTなことだけ覚えていたから読み返して探し出した。

で、FF14には原初世界と13個の鏡像世界が存在することが、紅蓮突入前に語られています。

14はFF14のナンバリング数であり、「クラウドたちのような姿をしていたのも、過去作を表しているのかな~」と新生クリア当時は思っていました。ただ、今回の解放戦争戦後編で明かされた、アシエンにはオリジナルと転生という2種類が存在すること(白と黒とは関係なく)設定により、このことは少し意味合いが変わってきました。

過去作についてのことは後で触れるので少し置いておくとして、ここで見方を少し変えて、13個ある鏡像世界について、「13という数字を天体で表す」ことについて考えてみようと思います。更に言うのであれば、歴代ナンバリング作品の中で11と14(これを原初世界と仮定します)が特殊(主人公が可変であるMMO作品)ということから、「12+1という数字を天体で表す」ことについて考えたいです。
なぜそんなことをするかというと、ウヌクアルハイが鏡像世界の住人であったこと、そして彼には明確な主がいることに、何か意味があると思うからです。エリディプスを独立させたい。

天体でまず12と言われて思い浮かぶもの。ゾディアークに関連するもの。言うまでもなく黄道十二星座かと思われます。また、黄道帯には十二星座の他にへびつかい座があり、これはウヌクアルハイ(へび座アルファ星)の主=エリディブス(オリジナルのアシエン)にあてはめることが出来るのではないかと思います。へびつかい座は黄道帯に存在しながら星占いには含まれていない特殊な(=特別な)星座で、近年では13星座式の占い方法が提唱されていたりします。
これで「12+1」セットの天体ができあがり、さらに言うとその+1は特別なものである、といえます。

次に大切になるのは、アシエンには特別な存在(=オリジナル)が存在する、という点です。上記で言うと+1(エリディブス)の部分です。
なので今度はこの+1を(エリディブス)+3(エリディブス、ラハブレア、エメトセルク)にしたいです。これは「12+1」を×3にするのが手っ取り早いですが、かといってどこからともなく持ってくるのもあまり納得できないので、持ってくるより前に増やせないかな? と考えるところから始めてみます。

ここでふと思ったのは、紅蓮パッチのアライアンスレイドでは、FFTやFF12といった、いわゆる松野作品(イヴァリースシリーズ)のオマージュやリスペクトを色濃く感じました。
そしてこれらには星座モチーフの存在(ルカヴィ)がいますが、彼らには対存在がいます。また、黄道十二星座自体に「黄道十二宮の天使」が存在し、天使と対存在になる亡者の存在もあります。黄道十二宮の天使および亡者自体は12個で、へびつかい座にはありませんが、イヴァリース作品にもへびつかい座の対存在は明らかになっていません。それを従順承知したうえで、今回の考え方に置いては対存在という概念がアシエンにもあるのではないか、「12+1」は「12+1+12+1」に出来るのではないか、ということが言いたいです。対存在の中身よりも、対存在という概念を重視して進めます。(エメトセルクやラハブレアが特別な存在でなくなってしまうので、むしろ中身重視でないほうが良いのかも)

また、黄道十二星座の天使は、堕天して悪魔になったとする説も存在します。天使の面と悪魔の面をそれぞれ独立して考え、「12+1」を「(12+1)×2」として考えることも可能ではないでしょうか。
ただこの場合、「対」存在なのだから、相対するもう片方の数字も上げて数えるべきなのではないかな、と思いました。「(12+1+12+1)×2」なんじゃないの、と。これで少し余分にはなりますが、目的であった数は満たせました。
ので、本当は「12+1」が4つ存在して、何かがあってオリジナルの方の1(エリディブス、ラハブレア、エメトセルクの3名ではない)が欠けたのではないかなあ、と思いました。

ここで過去作主人公の姿をしていたアシエンについてに話を戻しますが、これが転生組なのではないかと思います。
FF12に登場するルカヴィには、全部ではないにしろ、過去作を元ネタとするものがありました。FF14にも過去作ネタは多々あり、シリーズファンには堪らない要素です。例えばFF14新生部分で魔導アーマーが登場した時、「FF6の!」となったのは私だけではないでしょうし、マウント魔導アーマー騎乗時のBGMがティナのテーマであることは、「う~ん、わかってる!」と、FF6が好きなプレイヤーを後方彼氏面にさせることでしょう。しました。
ただ、アシエンのあの演出に関しては、そういった思考を逆手に取ったものだったのではないかなあ、とここにきて思いました。「過去作をモチーフにしているFF14の要素」ではなく、「FF14のオリジナル要素なんだけれども、それを悟られないために過去作のモチーフを纏っている」とでも言えばいいのかな。クラウドやライトニングをだしてFF7やFF13を表したではなく、過去作主人公のクラウドやライトニングの姿をしたアシエンを出すことによって、転生というものを表現したのではないかなあ、と思いました。

で、ここまできて、ふと思ったのが、「4種類の13は、トランプにあてはめられるのでは?」でした。いきなりトランプが出てきたと思うかもしれませんが、トランプは占いに用いることもあり、そこまで唐突ではないと思います。

何が言いたいのかというと、トランプは、数字組と絵柄組(と、絵柄組からさらに独立したジョーカー)に分けることが出来て、スペード(剣)、ハート(杯)、クラブ(杖)、ダイヤ(貨幣)の4種類がある、ということです。また、フランスタイプでは絵柄の人物に、実際に存在した人をモデルとして採用されています。ハートのクイーンに、スペードのクイーンを務めることはできせん。トランプのスートが変わると数字は変わりませんが、絵柄のJKQは変わる(=オリジナリティがある)のです。(フランスタイプは、Aはあくまで「1」であって「A」でないとされています。)
トランプは4種類の普遍的な12たちと、唯一無二の絵柄を持つ3たちと、あったりなかったりする1という見方をすることが出来ます。
絵柄をエリディブス、ラハブレア、エメトセルク。ジョーカーを欠けてしまったオリジナルアシエン、数字を転生組などの他のアシエンとして見ることが出来るのではないかなと思いました。

トランプや天体の概念などを元に組み合わせて、アシエンという組織が生まれたのではないかな。天体のくだりがちょっと強引な気がしないでもないので、他に何かないか探しておこう。もっと単純に、オリジナルアシエンは、太陽、月、エクリプスの3つ、くらいの可能性もあるかも。月は2つあって、1つは失われるものだし、もしかしたら月があってその月の1つが失われたものだった可能性もある。

エリディブス以外にも調停者アシエン(白アシエン)はいる(あるいはいた)のかなぁ。存在していれば十二星座の天使と悪魔が割と有力説になってきてくれたりしないかな、と思っているのですが。

ちなみに数字たちの一部を、概念はあるけれど不在にする(欠けさせる)、というのは過去作にも存在します(零式)。ので今回も、ジョーカー(あるいはロストした月)不在でもおかしくはないかなと思っています。
ジョーカーというのは切り札ですよね。ところでここに、何かにつけて切り札扱いされるヒカセンがいますよね。お前……まさか…………

追記(最初から追記というのも変な話ですが。別の見方を、ここまで書いた後に思いついたので、切替の意味も込めて)

「12+1」を無視すれば、対存在の数をイヴァリースのまま採用できるなと思いました。対存在がいる11体+いない2体、これを天使と亡者で×2をして「(11+2)×2」。特別な4とそれ以外の44。
これの何が良いかというと、22ってタロットの大アルカナの数なんです。特別な4以外にも役割を持たせることができる。小アルカナにスートの概念があるから、先ほどのトランプ概念にもうまい具合に絡ませられるかもな。

この考えの場合、特別な2つを切り離して考える理由だけ悩みます。MMOの11と、デフォルト主人公が決まっていない(パーティ可変)の1とかどうかな。割とありな気がする。

●アライアンスレイドについて

すっごいイヴァリースじゃん!! って思っていたら、松野さんが現れました。今回のアライアンスレイドが松野さん脚本ということも知りました。つまり松野さんの新作じゃん!!(じゃん!!)

松野作品としてもFFの一つの物語としてもRPGの一つの物語としても良かった……しみじみ……
人種や両親から注がれるものというのは、アイデンティティの形成に関わってくるものです。ましてデュライ家にとっては一族の悲願も双肩にかかっているわけで。ジェノミスやラムザにとっては大きいものでしょう。
けれども今を生きているのは彼らなわけですから、アルマが妹として娘として、今を生きる家族を心配してアルテマに囚われてしまうというのもよくわかる。
娘として父親にちゃんと見て欲しいというのもよくわかる。生きている人が何より大切だけれども、死者は会えないからこそどうしても思い続けてしまう。

レジスタンスたちが祖国のためにたたかいの道を選ぶのもアイデンティティを守るため。フランが捨てた故郷を懐かしんで守るために光の戦士をオーボンヌに案内するのも、アイデンティティを守るため。

登場人物たちの行動が、全て各々のアイデンティティ形成に基づいていて、見ていてそういう「どうして」がないんですよね。そして純粋にお話として面白い。う~好きだ……

ただ、ガレアン人と思われる劇団員くんは私に殴られる準備をしておいてください! いいですね! いや祖国というアイデンティティを重視する彼の行動もわかるんだけどさあ……わかるんだけどさあ……! 

●アレキについて(オルシュファンについて)

※今回のBGMです。

アレキをまさかのこのタイミングで終わらせました。蒼天部分じゃね?
それは置いておいて、蒼天パッチの直後にこの話を持ってくるの、人の心がねえ……となりました。自分を守った人の話を続けてして、否が応でも先に進まされるヒカセンと、一緒に留まることを選ぶことが出来たミーデの対比のお話する!?!? お、俺もお前(オルシュファン)の元に行きたいが〜〜〜!?!? 全てを捨ててお前の元に行きたいが、お前が守ったものを代わりに守ったり慕ってくれる双子がいるためにできないが~~~!?!? くそ……来世で待ってろ…………お前の盾と世界を巡って思い出を増やして会いにいくから待ってろ………………

余談ですが自機がメスラ・ゼラなせいで、ミーデとより対比的に感じました。ラウンドロクス見ていると、俺は双子を置いてはいけない……
私はオルシュファンに向かって泣き笑いを見せた自機は、可哀想なほど可愛いと思っているので……まじであのシーンの自機の笑顔がたまらなく可哀想で可愛い……ひどいなこのプレイヤー……(プレイヤーと自機の乖離)

それはそれとしてアレキのBGM、イイですね。機工士などのちょっとスチームパンクな感じとマッチしていてとてもイイ! 彼女たちのこれから幸あれ。

いや~……面白いね……FF14、面白い……
絶対、このタイミングで噛みしめることではないとは思うのですが、漆黒に対するわくわくが凄いので……ぜったい体力使う感じのエピソードが来るんだろうなという確信もあって少し怖いですが……

エドモンが出てきたのにも意味があるんだろ!!!! わかってんだからな!!!! お前は俺の家やぞ!!!!(????)

ゲーム感想一覧に戻るにはこちら

Gorogoa 感想

Switchでプレイしました。My Nintendo Store はこちら

美しい手書きイラストから造られたパズルADV。任天堂公式でよゐこのお二人がプレイしましたね、自分もそれで知ったのですけれど。
絵画のようなパズルをずらしたり重ねたりする感覚でプレイできるゲーム。クリア後にデモ版? もプレイできるのですが、結構中身違っていてびっくり。どちらも好き。

言葉で語られることは一切ないゲームなのですが造りが丁寧であることと散りばめられたモチーフからなんとなく考察ができます。というわけで、ここからは自分なりのGorogoaの考察をしたいと思います。

このゲームで一番印象的なモチーフはやはり『眼』だと思います。ゲームタイトルやゲーム序盤で現れる緑色の眼。魚のような鳳凰のような、そんな存在の眼。
一体この『Gorogoa』という存在は何なのでしょう。戦争や災害の象徴なのではないかな、となんとなく思っています。ゲーム内で主人公は少年・青年・老人の姿をいったりきたりしています。

ゲーム中に集めている五色の林檎の果実、のようなもの。供物としてGorogoaに捧げる集めるために作中で主人公が集めているのですが、実際にGorogoaが求めていたのは、供物そのものではなく供物を集める上での経験だったのかなあ、と思います。
Gorogoaが求めていたのは、知識・経験、言ってしまえば人生。主人公そのものが『供物』で主人公そのものが『Gorogoa』でもあったのかな、と感じました。
人身御供に近い。人身御供は日本だと水害のイメージが強いですが、インカやアステカなどでは太陽信仰の影響が強いんですってね。あの『眼』は正に太陽というに相応しいのではないでしょうか。

パズルゲームとしても考察の余地があるゲームとしても、良いゲームでした。わかんない、って場面が出てきてもぽちぽち頑張れば何かしらの手掛かりがつかめるし、良いゲームです。ストーリー展開的には後半の鳥肌の立ちが凄かった。よゐこさんのあの動画もゲームの良いところが伝わって核心には触れない、良い動画でした!

ゲーム感想一覧に戻るにはこちら

Gorogoa 感想